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2024.06.12

いつまでも戦争のない世界

 西暦2050年、富と権力を巡る争いが絶えず、国連解体とともに世界は深刻な危機に直面していた。核による惨状で都市は地盤に沈没し、幾億もの命が放射能に奪われても、けして地球上から争いが絶えることはなかった。


 この絶望的な状況を救うため、静寂なAI科学者のビオは「共感シンク」という脳内インターフェースの開発を進めた。このデバイスは、世界中の子どもたちが互いの気持ちを理解し合い、友と共感し合うことを目的に作られた。ビオは「互いの気持ちを理解することで戦いはなくなり、やがて世界は一つになる」という信念のプロパガンダを掲げていた。


 「子どもは喧嘩をしてもすぐ仲直りができる。でも大人になるとそれが出来なくなるのは、大人が相手の気持ちに共感する心を失うからだ。ならば、全ての子どもに脳内シンクを埋め込めば、彼等が大人になる頃、この世界から戦いは根絶できる…」SNSで無心に語るビオに資本家のコングロマリットは心から共感し、惜しむことなく天文学的な資金を投じた。


 共感シンクの導入から10年が経過し、子どもたちは思春期を迎えて大人になった。


 素晴らしいことに世界から戦争や紛争は消え、誰もが微笑んで暮らしていた。しかし、人々は同じ表情で、同じ服を装い、同じ行動をしていたのだ。人と人とが無限ループに共感し合った結果、深層意識に競争心が無くなり、恋愛感情までも失われていた。


 シンギュラリティの到来は、全く予期しない平和へと人類を導いた。共感シンクがもたらした一致の代償により、あらゆる個性が抑圧されてしまったのだ。


 ネオはそのことに気づいていた唯一の人間だった。医療リソースが限られる核戦争の最中、瀕死の重傷を負った彼女は死す存在とトリアージされ、脳内デバイス手術の対象者から外されていた。生き長らえた彼女は、共感シンクを装着せずに成長した唯一の人となり、他の誰とも異なる存在になった。そして、ネオはこの平和な世界に疑念を抱いたのだ。


 彼女は辺りかまわず感情を剥きだし、気持ちを言い放った。しかし、皆がネオの言葉に共感し、反論した者はなかった。

 当たり障りのない会話を交わし、全員が同じ意見を持ち、日常を繰り返すだけの存在。ネオにとってそれはまるで社会全体が一つの巨大なエコーチェンバーと化した、すごく気持ちの悪い世界だった。


 ほどなくして大人になったネオの心も、共感シンクの社会にずぶずぶと飲み込まれて、静かに消されてしまった。


 こうして人類は、いつまでも戦争のない世界を、人知れず実現したのであった。




                                                 

written by Joji George Imataka, reviewed by ”If the world were 100 people, Kayoko IKEDA and Charles Douglas Lummis"

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